昨日の投稿を忘れていた。
それだけで、鬱々としますね。
さて今日も昨日も何もなかったので、
思うことを書きます。
私達は社会を奴隷として扱い、
社会に奴隷として扱っています
本来そうであるはずは、ありませんが。
「私」という存在の集合体である「私達」は、
互いを評価して序列を付け続けます。
その行為は、愚かですが、私達人類にはその必要があったのです。
集団の中で劣等な者を排除して、優秀な分子の中だけで生活するために「序列」というものは、重要だったのです。
相手を評価すると同時に、私達は「序列」において自分が優秀だと、他者にアピールする必要がありました。
なぜならば、優秀でないことは死を意味するからです。
しかし、現代社会では仕事さえできれば死ぬことはありません。どんな手段を使ったって生きてさえいれば、幸せは訪れるでしょう。そのはずでした。
しかし、現實にはそうは行きませんでした。
発達した情報交換は、私達に劣等感を与えるだけでした。
つまりはSNSによる自分の幸せのシェアですね。
これによって得られたのは、幸せのヒエラルキーにおける自分の立ち位置です。
そもそも存在するはずもないヒエラルキーに生きてしまった私達は、そこでの自分をよく見せたりあるいは、悪い自分を悲観するだけになったのです。
本来幸せとは序列がつかないものであるのに、そうでなく何にでも序列をつける私達は、良し悪しを人と比べてしまいます。
もう少し、自分軸の幸せというものを作り上げてもいいのではないでしょうか。