今日は特に何もない穏やかな日です。
月の話でもしようかな。
我が家では、死んだ人は皆、月になると教えられていました。
何教の教えなのかもわかりませんが、なんとなく僕は月を見るたびに、亡くなった人たちを思い出すことにしてるんですね。
弔いのために昨日、往復1時間半の山奥に行ったのかと聞かれますと…それは、違うんですが。
でも、いざ月を見ると弔いの心は生まれますね。
でもお月さまは、いつでも僕たちを空から見守ってくださるじゃないですか。
暖かい光ではないけれど、落ち着く光ですよね。
静かに私達を照らしてくださいます。
有り難さを感じますね。
「死んだあとに人がどうなるか。」
なんていうのは、自分が「どうなりたいか。」に委ねれば、良いと思うんです。
私はもちろん猫か柴犬ですね。
そう。柴犬です。
ゴールデンレトリバーじゃ大きいし、
トイプードルなんて弱そうでしょう。
だから柴犬なんですね。
ピンと伸びた耳。
くるりと回ったしっぽ。
愛らしい限りです。
だから僕は柴犬になって沢山愛されたいですね。
つい。
卑しい人間だから、愛されたいと思ってしまうんです。
そんな自分が嫌いですね。
とはいえ、月を見て亡くなった人たちを思い出すなら
僕も月になるんですかね。
今度確認してみますね。